シンママナースの マリアンナ です。
小林麻央さんが亡くなって、夫市川海老蔵さんの会見を見ていました。
わたし、号泣・・。
いままで、看護師としていつもたくさんの方が亡くなられるのを見送ってきました。
そして、亡くなる方とその家族との別れも、たくさん見てきました。
いつも思うけど、どんな病気でも「末期」状態にひとは勝つことはできません。
末期がんなんて、今の医学レベルでは正太刀打ちできない。
体中のあちこちに転移してしまったら、もう増えすぎた癌細胞をやっつけることはできない。
若ければ若いほど、転移が早い部位であるほど、その進行速度は速い。
だけど、
目に見えない家族の絆には、どんな別れの場面でも、涙を誘うものがあって。
最愛のひととの「絆」は何よりも勝っているように思えることが多々あるのです。
看病する側も、される側も辛い。
だけど死を迎える間際、互いを思いやったり、感謝の意を述べたり。
たいてい多くの場面では、家族のあいだで互いを思い合う言葉が交わされます。
どんな逆境でも、自分ではない誰かを大切に想うこと。
死の別れのとき、それが如実に現れるんです。
病気には勝てないけど、家族の絆っていう部分では、ある意味でなににでも勝っているように思える。
一度だけ、小児がんで小さな子供が亡くなる瞬間を見たことがあります。
まだ小学校にはいったくらいの、男の子でした。
息を引き取る瞬間、その子はお母さんに抱かれながら「愛してるよ」とお母さんに伝え、亡くなりました。
小林麻央さんがなくなるとき、海老蔵さんに「愛してる」と最期に伝えたと会見でお話しされていました。あの、小児がんで亡くなった子の最期の場面が、オーバーラップしました。
大切な家族を失うことは、とても悲しいことです。
だけど、
最期で家族が望む時間を共に過ごすことができるのか、
最期に大切なひとに想いを伝えられるのか、
それができるかできないかで、
亡くなる人にとっても、残される家族にとっても、
全然違う気がします。
同時に、
最期の残された時間を家族で過ごし、
互いの絆を深められることは、
ある意味で末期がんに勝ったようなもの。
医療的にがんに勝つことはできなくても、
精神的な面では勝っているんだと思う。
逆境こそその家族の本心が現れる。
なかにはいますよ。家族の末期に遺産の話をするひととか、土地の権利の話したりとか。
そんな家族もいるからか余計に、
互いを思いやる言葉が交わされ、
愛情を確かめ合える最期は、
すごく絆を感じる。
なんだか報道を見ていると、
「闘病叶わず」とか、なんかがんに負けた、的な表現をしているのをよく見るけど、
なんかあの表現に納得いかないんだよね。
いろんな死を見てきた一人の看護師からすると、
がんで亡くなることはがんに負けたわけでないと思うんだよね。
いろんながん末期のなくなるひとの顔をみてきたけど、
すごくみんな安らかな顔をしていました。別に彼らは負けたわけじゃない。
どんなひとにも早かれ遅かれ最期のときは訪れる。
それが癌か事故か、何かはわからないけど。
だけど、いつ死ぬときが訪れても、
自分が後悔しない生き方をして、
自分の周りのひとを大切にできていれば
それでよいと思います。
「がんで亡くなる」ことが決して「がんに負けた」じゃない。
そもそも病気は勝負じゃないしね。
小林麻央さんのご冥福をお祈りします。
残された家族に、癒しがありますように。