病棟看護師としてのやりがいエピソード~患者の言葉で変わった看護師としての視点~



シンママナースの マリアンナ です。

 



やりがいを感じない毎日で看護師のやりがいを意識した患者のことば

看護師の面接でもよく聞かれる看護師としての「やりがい」。

正直、1年目、2年目に看護師としてのやりがいとか、感じたことがありませんでした。正直、看護師になりたいと思って看護師になったのではなく、経済的な安定だけを求めて看護師になったので、看護師のやりがいがなにかなんて考えたこともないまま、看護師になりました。1年目、2年目くらいは毎日が先輩看護師の顔色をうかがう日々。でも経験年数を積んで、責任範疇が大きくなってくることで、患者さんに対して濃厚にかかわることが多くなりました。ある日患者さんに内服のことについての相談に乗った次の日、「あなたに相談してよかった、他の看護師さんはあんまり親身に聞いてくれてないような気がして。あなたの相談してほっとしたのよ。担当があなたでよかった。」と言ってくれた中年の女性患者がいました。そのときなんとなく、看護師にとっては複数の患者さんだけど、患者さんにとってはその日数少ない頼りになる看護師なんだって思い、自分が看護師として働く上での、責任感みたいなものが変わりました。

 



自分主体から患者主体の看護観を持つようになった

その日くらいから、患者さんと関わるとき「この患者さんから見たら、担当看護師はどんな看護師であってほしいだろうか」、と患者視点で看護師としての関わり方を考えるようになりました。それまでは自分主体で看護業務を考えていましたが、患者さんから見たら、今日どんな看護を望んでいるんだろう、と考えるようになったんです。患者を主体として考えるよになりました。

正直看護師という仕事をしてたら、イライラすることなんて多々あります。認知症とか、暴力をふるう患者さんとか、わがままな患者さんとか、、数えだしたらきりがない。時には認知症で弄便(ほうべん:便で遊ぶこと)して、ベッドサイドも患者さん本人も便まみれになっていたりして、20分くらい便のかたずけしてるときなんか、自分なにやってんだろうって途方もない気持ちになるときがあります。そんときはやりがいなんか感じるわけがなく、わたし看護師の免許までとってなんでひとのう○こなんか掃除してんだろうって、落ち込みますよ。ほんと情けなくなりますから。

 



看護観ができてきて、責任が芽生え、やりがいを感じるようになった

でも自分のなかで、「患者がしてほしい看護の視点で看護する」みたいな看護観が出来上がりだしてから、どれだけ患者さんに腹が立っても、いやなことを言われたり、されたりしても、一呼吸して、その患者さんは本心はなにを望んでいるのかを考えるようになりました。そして、この患者さんは「こうしてほしいんじゃないかな」って考えて、ケアしてみたりしてるうちに、さっきまで落ち着きのない感情的だった患者さんも少し変わってきたりするんです。怒りんぼだった認知症の患者さんが突然「ありがとう」と看護師に対して受容的になったりする。自分が持った看護観みたいなものを実行して、患者さんから良い反応が得られたとき、すごくやりがいみたいなものを感じるようになりました。言葉には言い表せないけど、看護師という仕事に達成感を感じるというか。

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特に認知症の患者さんって、看護師の接し方の結果が良く現れる方だと思います。認知症の患者さんは、看護師が「病院の看護師」であることや、自分がなぜここで治療をうけているのかもわからないひとって結構います。不安や恐怖から、怒ったり、帰ろうとしたり、危険な行動をとったりするんです。看護師として認知症の患者さんって、本当頭を抱える存在でもあります。

でも自分の看護観に基づいて、認知症の患者さんに接した時、認知症の症状が落ち着いたりするときがあります。そのとき、すごくやりがいを感じるんです。安全帯を使ったり、鎮静剤を使うことだけが認知症の安全対策じゃなくて、関わりだけで患者さんの行動をかえることができるんだなー、とか思ったり、看護ってこういうことなのかな、とか思えたり、そういうときに看護師としてのやりがいを感じます。

 



看護師として働いてやりがいがない・やりがいを感じないときもある

看護師として働きだしてからかれこれ4年ほど経ちました。まだまだ経験が浅いなりに、いろんな患者さんと触れ合って、看護師の「やりがい」たるものを感じるようになってきたように感じる今日この頃。でもいつもいつもやりがいを感じているのかっていうとそうではなくて。

やっぱりまだまだ看護師として器が小さいのかもしれないけど、毎日増えていく看護記録に対する責任や、監査の対応、看護研究等、患者と触れ合う以外の仕事がすごくいやで、そういう看護以外の仕事をさせられるとき、すごくやる気がなくなるし、ほんとやりがいがないなーと思います。最近では看護必要度に対する監査も厳しくなって、一層看護師の記録業務が増えたようにも感じます。あれ?自分の仕事ってなんだったっけ?って一瞬考え直してしまうくらい、看護師なのに記録とかヘルパー業務的なことばっかりで、看護業務をしている割合が少なく感じる。何よりベッドサイドにほとんどいれないことが、看護師なのにわたしって看護師の仕事してないんじゃないかって思い、正直やりがいみたいなのを見失いそうになることがあります。

それでも、自分のなかで出来上がってきた看護観みたいなものを通しているうち、患者さんが良い方向になったときは嬉しくて、すごくやりがいを得られることもあるんですけどね。

年々看護師の業務も多様化していて、忙しさも増しているので、患者さんとのふれあいでやりがいを感じたり、ときに多忙から虚無感に陥ったりとしている毎日です。

 



看護師としてやりがいをもつきっかけ

看護師になったからといって、やりがいなんてすぐ感じられるものじゃないなーって思います。看護師になってすぐは業務を覚えるのに必死で、それどころじゃないですしね。

でも患者さんとのふれあいから、いろんな経験や価値観の変化があって、自分の中で看護観みたいなものができたとき、やりがいみたいなものを感じられるようになるんだと思います。

看護師になってやりがいを持ちたいなら、「看護ってこうあるべきだ」っていう自分流の看護に対する価値観を作ることが大切なんだと思います。

ほんと、そういうやりがいみたいなものがないと、正直笑顔で続けられるような仕事じゃないです(笑)。本当に大変な仕事だから。

でも看護観なんて、1年2年でそうそう出来上がる物でもないですけどね。

 

そしてわたし、この仕事をしていてよかったなと思えることがあります。

看護師になってから、大きな病気になったり、亡くなっていく患者さんから、いろんなことを考えさせられて、自分のなかの人生の価値観みたいなものが大きく変化しました。

昔は老後のこととか、貯金だとか保守的なことばかり考えていたけど、看護師になっていろんなひとの人生をみてからは、人生って本当したいことしとかないと、いつ後悔するかわからないって思っています。そんな価値観をもてるようになったのも病棟看護師になっていろんなひとの死に直面したからです。

 

大変だけど、こんな仕事やってられるかって思うときもあるけど、

看護師ってとてもいろんな意味での勉強になる仕事だと思います。

疲れるときもあるけど、あと少しがんばってみよう。