未婚シングルマザーブログ:わたしが考える「シンママ論」



シンママナースの マリアンナ です。

シングルマザーって何なのか。どうあるべきなのか。なってみたもののわからなかったけど、子育てをしていくうちに「シングルマザーってこうあるべきだろうな、こうありたいな」っていう「シンママ論」みたいなものができてきました。それが正しいのかもわからないし、自信もないですが、シングルマザーとして子育てに悩まれる方から相談を受けたりしていたので、わたしのシンママ論をここで紹介しておきます。

 

どう子育てしていっていいかわからないって、シングルマザーなりたての子からよく相談を受けます。じゃあこれが正解だよ、なんていえた口じゃないんですが、わたしがシングルマザーとして子育てしていく中で、「シングルマザーとしてこうしてきてよかった!」「シングルマザーだけどこうしていこう!」っていう自我が年々出来上がってきています。そのわたしが考えるシングルマザーとは、っていうところについて書いています。

ここにかかれていることは持論です。もちろんすべてのシンママさんがこうあるべきだって思っているわけじゃありません。こんな人間もいるんだなー位の参考程度に留めてくださいね。

 



子どもにとって母子家庭を「逆境」にするか「バネ」にするかは母親次第

世間では母子家庭に対してネガティブな印象が強い。でもわたしが思うに、父親の存在がない母子家庭は、子どもにとって過酷な逆境のようで、時にバネにもなる環境だと思っています。どっちに転ぶかは母親次第。すべては母親の努力と判断、行動次第で良い方向にいくと思っています(まだ子育て最中なのでえらそうにいえないんだけど)。

確かに子どもの非行、問題行動、偏差値の低い家庭環境などでは、いつも母子家庭がワーストに入っているという悲しい研究結果もたくさんあります。それはなんともいいなめない。

でも、世間には母子家庭で育った方でも、誰も成し遂げられないような偉業を成し遂げるひともいれば、良い意味で歴史に残るひとだってたくさんいます。誰でも知ってる有名人でいえば安室奈美恵さんとか、橋下徹さんとか有名ですよね。彼らは母子家庭という環境で育ちましたが、それぞれの分野で立派に活躍されています。なんならそのカテゴリーの頂点を極めたようなひとだし、決して悪いことをしたり、人さまに迷惑をかけるようなひとじゃない。母子家庭で育ったからこそ、そのときの思いがバネになって、何かを達成できるひとだってたくさんいます。両親揃ってはいませんが、母親に対する愛情や思いは強いはずです。

未婚の母という選択をしたとき、すごく不安でした。自分がまだ子どもだったからなおさら子どもを育てる自信なんてなかったし、子どもが悪い方向にいってしまうんじゃないかっていつも不安に思いました。子育てがだいぶ落ち着いてきて思えるようにもなりましたが、子育てって結局母子家庭だ父子家庭だと子育てする環境がどうの、じゃなくて、結果子どもがどんな大人になるか、ってところがゴールなので、子どもが育つ家庭環境なんてほんとひとつの過程にしかすぎない。親が与えられた環境でどう子育てするのか。その課題を親がどうクリアしながら子育てという仕事に向き合うのか、その背中を子どもが見ているんだと思います。

安室奈美恵さんのお母さんも、橋下徹さんのお母さんも、片親でありながらすごくまじめな方だったそうです。きっと母親の背中をみていたから、彼らもあれだけの努力家になったんじゃないかな。きっと彼らのようなひとは氷山の一角で、実際にはもっといると思いますよ。目立たないだけで。片親でもいい加減なことをせず、でも子どもから目を離さずにいれば、子どももいい加減なことはしないだろうし、愛情をしっかり受け取ったら、子どもってそれにこたえてくれると思います。子どもは親の鏡といいますが、ほんとそうだとおもいますね。子どもが右に転ぶも左に転ぶも親次第。子育てという大きな課題に、両親揃ってる揃ってないとか、結局は関係ないんじゃないかな。

 



何かを判断する中心は常に子どもであること~すべての面で子どもの最高の利益を考えて行動する~

わたしは子どもが生まれてから、常に「子どもにとってこの選択は合っているのか」ということを念頭において、何事も判断してきました。っていうかしてきたつもり。してこれてるはず、たぶん。

仕事も、住む場所も、交友関係も、パパとの面会も、恋愛においても、すべてはそれがわたしにとってじゃなくて、子どもにとって結果良い影響になるか否かを考えて選択してきました。したい仕事があっても、それが子どもとの生活に影響をきたしそうなら選択しないし、住みたい場所があっても、それが子どもに良い影響をきたさなそうなら、選択しません。その選択が常に子どもによって良い利益があるのかどうかを考えてきました。これは子育て中のひとなら当たり前のことなのかもしれないですけど。

でもシングルマザーって、努力次第で良くはなってきますが、状況によっては経済的にも精神的にも不安定になる時期があると思います。お金もない、時間もない、支えもない、辛い。「いっそ再婚して養ってもらえたら楽なのに」「もっと家賃が安いところなら、生活が楽なのに」なんて、辛くなると安楽になる方向が頭をよぎるようになります。でも、そこは我慢。メンタルが折れそうでも、辛くても、常に、合理的に、何事にも判断するときに「こどもにとって後々良いか、悪いか」をしっかり考える。今自分がしようとしていることは、母親として正しいことなのかって。その積み重ねがシングルマザーの生活を良くしていき、結果子育てにも良い結果を生み出すんじゃないかと。

女ってわたしももちろんそうですが、弱くなるとつい感情的になる生き物です。経済的に、精神的に、体力的に自分の弱さを感じると、論理的な考えができなくなってくる。いらついたり、男に頼ったり、酒に頼ったり、ギャンブルに染まったり。楽になりたいから感情で行動するようになる。アルコール中毒は女性に多いっていいますからね。シングルマザーってほんとその自分の弱さとの戦いですよ。わたしも今だって心が折れそうになること多々あります。でも、辛い環境でも自分が選択するひとつひとつの判断が、「今子どもにとってよい方向になっているかな」「母親として間違ったことをしていないかな」って、自分を評価するようにしています。

子育てで失敗したら、それってすごく後悔することになると思う。でも子育てなんてたった20年です。20年いかに親が親として、子どもの良い成長のために、エネルギーを注ぐことができるか。それが勝負だと思って、今を必死に頑張って生きています。

 



シングルマザーの恋愛は「経済力・精神力・子ども」の三拍子が自立してから

わたし、これを本当にシングルマザーの軸だと思っています。シングルマザーにはまず基盤として、経済力と精神力が必須だと思います。やはり過酷ではあるし、責任も重いから。そして目標は最終的に子どもが確実に自立した人間になること。いつまでも一緒にはいれないですしね。親は先に死んじゃう上に片親だから、子どもが確実に自立して生きていけることがすごく重要になってくる。母親が突然死んじゃったら、子どもが頼るひとがいなくなってしまいますからね。

シングルマザーがもし恋愛をするなら、まず自身の経済力と精神力を養って、子どもがある程度手が離れるようになって自分でなんでも判断できる、今なにかあっても自分で生活することができるくらい自立してからだと思います。

 

なぜか。

 

女性は経済力がないまま、かつ子どもという扶養者を持ったままで男性と恋愛関係になると、多くは生活を男性に頼ってしまう傾向があると思います。実際は頼れなくても、その不安から精神的に男性に依存してしまう。

ニュースでシングルマザーの連れ子虐待の報道がよく聞かれますが、ある程度経済力があるシングルマザーが連れ子虐待で報道されたことがありますか?世の中には役職についたり、公務員とかそれなりの給料がある仕事についたシングルマザーもたくさんいます。でも母子家庭に多いと言われる連れ子虐待のほとんどは、母子家庭の中でも経済的困難がある家庭がほとんどです。シビアですが現実で、経済的にある程度恵まれている環境の母子家庭での虐待のニュースなんてわたしは今まで聞いたことがありません。

母子家庭でかつ経済的な困難になる状況では、そのシングルマザーの精神状態は不安定になります、なって当然なんです。シングルマザーでその先を不安に感じたことがないひとなんていないと思います。経済力が乏しければ乏しいほどその不安は倍増する。不安な状態にあるとその状況から逃れたくなって、ワラにもすがる思いで、自分が一番弱さを持つところ(飲酒や異性関係とか)に走ってしまう。だからこそ、シングルマザーは経済的困難のなかでも「今自分がなにをすべきか」判断できる精神力が必要です。そしてそういった状況にならないために、資格をとったり、商売をしたりして、経済力を高める。つまり経済的に自立する必要があります。不安を感じる要素を極力減らすんです。

シングルマザーが経済的に自立するのには、大きなメリットがふたつあります。

収入が増えることで、経済的な自由や時間に余裕ができること、すなわち子どもの教育費を確保できること。もうひとつは経済力がつくことで、精神的な不安を取り除けることです。精神的に安定していれば、基本的に人間って飲む打つ買うには走る機会が少なくなります。

 

経済力と精神力がまだ安定していない状態で、母子家庭の母親が恋愛に走るのは危険です。恋は盲目なんていいますが、経済的、精神的に不安定な状態で恋愛すると、自分の弱さからなおさら正常な判断がにぶってしまいます。恋をしてしまうと多くの女性は相手の男性の色に染まりますよね。シングルマザーが恋をしてその男性に夢中になるということは、子どもの父親ではない男性に、生活や子育ての主導権に握らせるということです。とても怖いことだと思いませんか?連れ子虐待のニュースを見るたび、こうなる前に何かできなかったんだろうかってすごく思います。そこまでしてその男性と生活を一緒にしないといけない理由ってなんだったんだろうって。きっ母親はと今の生活に不安や不満を感じ精神的に不安定だったんじゃないでしょうか。だからただしい判断ができなかった。そしてたいていは子どももまだ小さくて、自立していないから、義父がいやでも出て行ったり、誰かに助けをもとめることができない状態であることが多い。

 

もしシングルマザーが恋愛をするなら、母親が経済的にも精神的にも自立していて適格な判断ができる状態であること。なおかつ、子どもがなにかあっても自分で生きていけるくらい自立した状態まで成長していることが前提だと思います。

 



ネガティブな「母子家庭だから」を禁句ワードにする

「母子家庭だから」って言葉をよく聞きます。

「母子家庭だからお金がないし、大変なのよ」「母子家庭だから、がんばってアルバイトしてもらわないと困る」

「母子家庭だから」。この言葉はわたしは子どもに言わないようにしています。10代のとき、わたしのアイデンティティが一番傷ついた言葉だったからです。

 

「母子家庭だから、学校へ行くなんて贅沢だよ」。わたしが10代のとき、母親含む周囲に言われた言葉です。

「だからなに?」って思いました。反抗期ですねー。今思えば。すんなり自分が与えられた環境を受け入れられなかったんです。

今でもその悔しさったら忘れられません。

「なんで母子家庭だからって高校とか大学とかいっちゃいけないんだよ!」っていう、なんともいえないメラメラとした反抗心が芽生えたことを今でも覚えています。

貧しかったら働くのはあたり前っていうのは十分わかっているんですよ。常識なのかもしれません。でも学業の面だけに関しては、その事実を受け入れられなかった。勉強することすら、いけないの?って思うとつらくてなんかずっと泣いてたことを覚えています。

子どもは好きでその家庭を選んで生まれてくるわけじゃありません。別に母子家庭とか父子家庭とか貧しいとか金持ちとか、選んで生まれてくるわけではないんです。極端な話、生まれた地点からその子どもの環境には格差があります。生まれて間もなく虐待される子どももいれば、溺愛され育つ子どももいる。生まれた地点で人生はアンフェアなもんですね。そんなこと言い出すともっと過酷な環境で育った方もたくさんいるのかもしれないけど。

でもひとつだけ、保護者として最大限努力すべきことがあるとすれば、どんな環境であっても子どもから学ぶ権利を奪ってはいけないと思っています。貧しかろうが、大変だろうが、教育を最優先にする。

子どもから学ぶ意欲や環境を奪うということは、子どもの将来選ぶ職業にも制限がかかってしまうことになる。てことは教育を受けられるか受けられないかの環境によって、将来の収入にも影響がきたしてくるわけです。もし教育を受けたいのに、家庭環境によって教育を受けることができない子どもがいたら、その子自体にやる気があって将来性があるとしても、それを制限してしまうことになる。貧困のスパイラルになりかねない。人生は努力次第でなんとでもよい方向にいくとは思いますが、それはあくまで自分が努力して、そういった道へいくからこそ。その道を親が環境を言い訳に閉ざしちゃいけないと思っています。

 

だから、母子家庭だろうが父子家庭だろうが絶対教育だけは受けられる環境にする。学ぶことに興味をもって、安心して学ぶことができる環境を与える。限界までは親として、周りの子どもと同じような環境でいられるように努める。どうしても仕方ないときはあるかもしれないけど、最大限努力して、「母子家庭だから」っていうワードは使わないようにしようって心に決めてます。

 

 



父親を恨ませない・父親の悪口を言わない

多くのシングルマザーにとって、別れた父親に良い印象や思いを持つ女性なんていないでしょう。もちろんわたしもその一人。別れたパパが嫌いですか?って聞かれた勢いよく手をあげます。はい!って。本心はね。

でも、喉まで父親の悪口がでそうでも、言いたくても、絶対いいません。本気で堪える。今にも口から文句がでそうだ。でももちろん子どもに言わないし、友だちにも言わない。脅されても言わないでおこうとおもう。墓場までこの思いは持っていこう。どこで子どもに伝わるかわからないので周囲のひとにも言わない。いやそら言いたいですよ、文句のひとつやふたつ、人間ですから。でも子どもに父親を嫌いにさせて、父親を怨む感情を教えても、結果良いものには絶対ならないと思うので。憎しみって何も良いものを産みださないじゃないですか。仮に本当にひどい父親だったとしても、血のつながったルーツとなる父親を憎むことは、へたすりゃ子ども自身の人格形成にも影響します。

でも腹立ちますけどねー。思い出したら。DVだったしね。

養育費も払わない。好き勝手して、都合のよいときだけ良いパパになる。なんて楽しているんだって思うけど。でもまぁそんな人を選んだわたしもわるいわけだし、いいかげんな父親であるからって、子どもが父親を怨む必要はないので。

わたしのお母さんがわたしの父親と離婚して、わたしの父親の悪口をよく言うんです。今でもね。若いときは好き勝手していた父だから、妻として苦労したんだろうし、別れた夫の悪口を言いたくなる気持ちは同じ女性としてわかるんですよ。だけどやっぱり、父の娘として良い気分はしません。わたしの父だから。わたしの根源である父親を悪く言われるんです。わたしを悪くいっているようなものです。しかも母親に悪くいわれる。すっごくいやな気分になります。お父さんとは生き別れているし、育ててもらったわけじゃないけど、父のことは嫌いどころか今でも好きなので、まして母親に悪口を言われると、すごく辛いです。だから子どもには同じ思いをさせたくない、わたしは父親の悪口だけは子どもに(子どもの周囲にも)言わないようにしています。

 



子育ては育つ過程に決まりはなく、どんな大人に育つのか、その結果が結論であり成果なんじゃないだろうか

「じぶんが正しい子育てをしているかどうか」って聞かれて、「わたし正しい子育てができていますよ」って答えられる親は、世界中にいないと思っています。

子育てって、子育て中の過程が問題なんじゃなくて、結果その子どもがどんな子どもに育つかっていうのが、その成果だと思うからです。

共通して子育て中の親すべてにいえることは、結局自分が正しい子育てをできているか否かなんて、子どもが大人になってみなくちゃわからない。どんな大人になるのかが子育ての結果です。どんな環境で育てるとかいう過程は問題ではないんだろうと思う。

例え子ども時代に良い子でも、将来とんでもない犯罪に手を染める子もいれば、子ども時代に悪い事ばっかりして、成績が良くない子でも素晴らしいことを成し遂げるひとがいる。子どものとき良い子だからって良い子育てをしているとは限らないし、お金があって、恵まれた環境だから素晴らしい大人になる保証はない。

 

だから、母子家庭であることを悲観的に思うことはないんだと思います。母子家庭だから子育てができないわけではない。もちろん適当に育てたり、ネグレクトしても良いってわけじゃないですが、どんな厳しい環境でも親が子どもに向き合って20年育てるなら、子どもはちゃんとした大人になるだろうと思う。今はそう思って、毎日必死に模索しながら子育てしています。